

建物は広い敷地の西側スミに追いやられるようにして窮屈そうに建っています。また、玄関も表通り側にではなく、ひと筋入った路地に面した穴のような入口を入ったところに、まるで庶民のそれのようにあります。これがあの元老・山県有朋の別荘なのだから驚いてしまう。敷地の大半を占める庭園(3,135平方メートル)は、有朋自らが設計・監督し、造園家・小川治兵衛(7代目)の作庭だそうです。庭は、いわゆる植治の手になるのですが、では建物はいったい誰の設計なのだろう? 有朋の設計を元に大工棟梁がつくったのだろうか? それとも庭に比べて建物の方はどうでもよかったのだろうか? どう見ても庭園に比べて建物が粗末にあつかわれている感はまぬがれません。
1、敷地全体は東山側が高く、西へだんだんと低くなっていくのだが、建物はそのいちばん低いところに位置していて、庭園を見上げる形になっている。(だからに庭園は偉そうに見えるし、東山も大きく見える)
2、建物そのものも、とにかく庭園側に対してその正面を向けている。(南側には大きな樹があって南光を遮断している)
3、洋館でさえも敷地の片隅に置かれたままになっている。
ここ、無隣庵(むりんあん)に来ると、かつて建物は庭の一部でしかなかったのだということが実によくわかります。
いまの住宅は、確かに土地が狭くて庭なんてとても、なのですが、たぶんそれだけではなくて、考え方そのものが変わってしまったんだと思います。いまの家づくりでは、住宅の残りが庭であり、その残りが街なんだと思います。
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